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マチュピチュ
回りは断崖絶壁、背後は山
まさに空中都市である!
景観の素晴らしさに立ちつくす
気がつくとリヤマが僕の脇にきていた
マチュピチユの早朝
雲が流れると、見下ろす遺跡が一瞬にして消えた!
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ワイナビチユ登山
絶壁をよじ登る
落下して帰ってこない人もいるという
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ワイナピチユ山頂
頂上は狭い巨石
一望にマチュピチユの遺跡が見える
素晴らしい景観である
念願がとうとうかなった!
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アンデス山脈の麓、標高4000m
高地で空気が薄い
リヤマを抱えた婦人に会う
昔も今も変わらない生活のテンポを感じ、
ほっとひと息入れる
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オリャンタイタンポ
聖なる谷のほぼ中心にあたり、要塞跡がある
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サクサイワマン
インカ帝国の首都クスコを見下ろす位置の巨石要塞
どうやって積み上げたのかは未だに謎
巨石360tの迫力に圧倒される
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バザール
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チチカカ湖
標高3800m、世界一高い湖
空と湖水のブルーが、忘れられない
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バザール 織るところろを見せながら売っている
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2000年 南米・ペルーの旅紀行
僕は2000年10月、かってからの念願でもあった南米のペルーのリマへと旅立った。
1992年メキシコの旅の途中で、盗難に遭い、パスポートをメキシコ大使館で再発行していただいた際、ペルーに行きたいた旨を話したら、ペルーは、治安も悪く危険だから、行かない方が良いという事だった。それで、僕は断念した経過があり、それ以来心の内で、その機会がいつかはくるだろうと思っていた。
ようやく、その時が、訪れたのであった。
メキシコ、ヴァテラマのアステカ、マヤ文明、古代アンデス文明の神秘な謎に触れ、その文明の類似、比較も関心のひとつであった。
4000年前に文化を持ちながら、ついに現在まで"文字"が発見されていない。
高度な文化を持っていた民族が"文字"を本当に持っていなかったのであろうか。
さまざまな謎に興味を抱きながら、出発した。
僕は最初、インカ帝国の首都クスコを取材した。
標高3360mの高地である。
「クスコ」とはケチュア語で"へそ"を意味する。インカ大帝国を築いた民族の宇宙観の中心でもあった。
その中心に太陽の神殿(コリカンチャ)がある。
インカ帝国時代の呼び名、コリカンチャ(Qoricancha)、コリ(Qori)とは、黄金を指し、カンチャ(Cancha)とは、居どころを表す。
スペインからやってきた征服者たちはこの神殿を見て、驚嘆したという。
神殿を囲む石組の素晴らしさ、また、壁には金の帯がつけられ、夢のような世界であったと伝えられている。
広場には金の泉があり、また、金の石が敷き詰められ、畑には金のトウモロコシが植えられていた。更に等身大の金のリャマを連れた人間像があり、その上、金でおおわれた太陽の祭壇があった。
ぶ厚い金の太陽像がきらびやかに輝えていたのであった。
16世紀、スペイン人がインカ帝国を滅ぼした。
その際に、この宮殿の黄金をすべてつぶして本国に持ち返ったのである。
宮殿の上部を壊し、残った残土の上にチュゲレス様式の教会を建てた。
しかし、その後クスコ大地震があり、このサント・ドミンゴ教会は無残にも崩れ落ちたのであったが、土台の石組だけは、ひずみひとつ起こさなかったという話は有名である。
僕はこのサント・ドミンゴ教会の前にあるペンションを宿泊に選んだ。
ここの部屋の周囲も、かってのインカ時代の石組みが生かされ、スペイン風な洋風とうまく調和していた。
高地のクスコは、昼は太陽の光が強く、また朝晩は冷え込むのである。
ベットのアルパカの毛布が役立ち、ぐっすり眠れて、目覚めは快適であった。
ここに3日間滞在した。
クスコは、東を守る堅固な要塞跡がある。
巨石360tの遺跡をまのあたりにし、その迫力には圧倒された。
3層の巨石が22回のジグザグを描きながら360mにもわたって続いているのである。
よくこの巨石を運んだものである。
エジプトのギザのピラミットに比す雄大さで、クスコの街全体がピューマの形をしている。
このサクサイワマンはその頭にあたるのだという。
毎年、6月24日"太陽の祭り"インティ・ライミーが行われ、インカの儀式がそのまま復活する。
昔は生贄の儀式が行われた。
アステカ、マヤもその昔、生贄の儀式が行われていて、血なまぐさいこれ等の文化には共通する一面がある。
ケンコー、プカプカラ、タンボマチャイ、インカの聖なる谷・ウルバンバの谷、謎の巨石が残るオリヤンタイタンボと取材してまわる。
遺跡と市が立つ村。
今も昔も変わらないテンポで生きている人々の生活を肌で感じとることが出来た。
そして、いよいよマチュピチユに行くことにする。
1532年、フランシス・ピサコが率いる200人ぐらいのスペイン人征服者によって、インカ帝国は崩壊してしまった。
王は捕らえられ、クスコの街は破壊されてしまったが、インカの抵抗は続き、秘密基地・ビルカバンバを造ったといわれている。
それがマチュピチュであるという。
クスコから鉄道でマチュピチュに向かう。
ウルバンバ川に沿って段々畑アンデネスが見える。切り立ったコルヴィエラ・デ・カラバヤ(東アンデスの山々)の峰々は、雪を冠っている。
ベロニカ嶺を望みながら、ゆっくりと列車は走って行く。
アグアス・カリエンテス駅に到着する。
ここは、標高2000mである。クスコより約1500mは低い。
駅には僕を待っていてくれた少年がいた。
この山峡の村には温泉がある。アグアス・カリエンテスとは、「お湯」の意味だという。
この村を基点としてマチュピチュに登ることになる。この村のホテルは線路をはさんで並んでいる。
レストランもある。
驚いたことには、レストランにコンピューターが3台備えつけられていて、マチュピチュの山頂から下山してきた若者が、早速、Eメールで各国の人たちと交信しているのである。
ポストカードを手している僕としては、時代が大きく変わろうとしていることを実感した。
僕は、一週間、このマチュピチュに時間を当てていた。 着いたその日に、バスでマチュピチュに登った。
くねくねしたとした急なじぐざく坂を登って行く。 標高差400mまで登りきると、目の前に突然、石の都が現れた!
標高2280mの頂上である。
素晴らしい景観である。回りは断崖絶壁である。
絶壁の下方には、ウルバンバ川がU状に流れ、光り輝やえている。
その流域は熱帯雨林のジャングルである。
背後にはワイナピチュがそびえ、下からは到底確認することはできない。
空中からしか確認することはできない絶好の隠れ場所である。
それが”空中都市”と呼ばれるゆえんである。
1991年7月アメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムは古い記録の数行からヒントを得て、草に埋もれた断崖絶壁をよじ登り、山の上に広がる廃墟の遺跡を発見したのであった。
そして、400年超える長い眠りから目覚めたのである。
見渡す限りの断崖絶壁には、アンディネス(段々畑)の跡が見られる。
景観のあまりにも大きいスケールに、僕は圧倒され、感動のあまり、しばらく座り込んでしまった。
気がつくと、リヤマが僕の脇にきていた。
なにか、ほのぼもとしたものを感じ、我にかえった。
要塞形式で、古い部分はインカ以前から存在していたといわれ、また2000年前に建造されたともいわれている。
このマチュピチュの遺跡をつなぐインカ道周辺には、1万人位の人々が生活していたという。 山の傾斜面の、アンデネス(段々畑)では、ジャガイモ、トウモロコシ、ユカ、キノア、コカの葉等200種類以上の作物を生産していたというのである。
尾根伝えに水路もある。水汲み場があり、水の管理が徹底していて、プレ・インカ時代から、サイフォンの原理を知っていたといわれている。
僕は,以前から古代アンデス文明をインカ帝国が継承していると考えていて、この地に立って更にその感を深める。
インカ大帝国が急に発展した要因は、古代アンデス文明をうまく継承したことではないかと思う。
一部族であったインカ族が、13世紀末から、15世紀後半までに、北はエクアドル、南はアルゼンチン、チリに至るまで広大な版図を手中に収め、インカ大帝国をつくったのである。
軍事力と農業生産と社会組織に革命的な方法を採用したといわれる。
石造建築もさることながら、頭蓋骨切開の外科手術までもやっていた。
如何に高いレベルの文化を持っていたかが分かる。
僕は今回の旅で、5体ぐらいのミイラを見ているが、ミイラにする技術も優れている。
太陽の宮殿では、歴代の王がミイラの形で、しかも座ったまま展示され、髪は地をはっていてロウ人形と見間違えるほどであった。
それもガラス等のケースには入れていなくて、直に鑑賞することができたのにも驚いた。
インカ族の最も優れていたのは、インカ道ではなかったかと思う。 クスコを基点に拡がるカパック・ニャン(偉大な道)である。
支配下にした土地すべてを幹線道路でつないでいる。そこをチャスキ(飛脚)が飛ぶような速さで情報を伝達したのである。
あの時代にこれだけのインカ道をつくったことに大きな驚きを覚える。
それらのことを考えながら、背後にそびえるワイナピチに登ることにした。
管理小屋で氏名を記入する。落下して戻ってこない場合のチエックをするためだという。
これはきついトレッキングであった。絶壁をよじのぼるのである。
休み休みであったが、僕は頂上に立つ念願がついにかなった。
絶壁の狭い頂上は、巨石である。
巨石の石に腰を下ろし、眼下のマチュピチュの遺跡を眺める。
その景観は、まさに空中都市さながらであった!
感動のあまり、しばし時を忘れて眺めていた。
僕は生涯忘れられない、素晴らしい想い出が完成したと、そのとき実感した。
そして、多くの謎を秘めたインカ帝国の起源は、古代アンデス文明が生み出した遺産ではないかと核心するのであった。
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